2012年4月21日土曜日

菊地成孔 feat. 岩澤瞳「普通の恋」


これは渋谷系を騙った、アンチ渋谷系ソングだ。
90年代は、バブルの残滓と渋谷系の多幸感に浮かれた時代であると同時に、一方で「失われた10年=ロスジェネ」でもあった(とされている)。前者には目もくれなかった人々はこうである。つまり、「ドストエフスキー」と「エヴァンゲリオン」に夢中で(ある意味、社会の命令によってそう「させられた」)、「退屈と絶望が日課」の「ハンパに高いIQがいつでもいつでも邪魔になって/革命ばかりを夢見るけれども/何も出来ない」、内宇宙に逃げ込んだ男たちと、「パパ」による性的暴力のトラウマと「チョコレート」の摂食障害に悩まされる女たち。
90年代、社会学者たちがこぞって分析したこうした「普通でない」人々=社会の共同幻想へ過剰適応させられた人々を、見事にポップソングとして切り取った手腕がまず素晴らしいと思う(言うまでもないことだが、popularという英単語は「大衆的」という意味だと指摘しておかねばならない)。しかし、社会学者にできなかったことを、このポップソングという名のフィクションでもって菊地は成し遂げている。つまり、社会に過剰適応させられた上、社会学者によってバラバラに解剖され、もはや細胞単位の標本と化してしまった上記の男女を出会わせたのだ。ボーイ・ミーツ・ガール、ガール・ミーツ・ボーイ。
だからこそ、「お洒落な場所じゃなかった」と語られるコンビニでのこの男女の出会いと、彼らの「普通の恋」は感動的であり、最上の「癒し」をもたらす。


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